めぐみ保育園
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ひまわり組さんの親子料理教室

更新日:2019/01/19

今日は、ひまわり組さんの親子料理教室でした。
写真のように、豚汁とおにぎりをみんなで作りました。グループによって色々な種類のみそをブレンドし、いろいろな味の豚汁ができました。
私は、色々な味の豚汁を楽しむことが出来ました。おなかはパンパンです。
写真は、作り方の説明と、私の豚汁&おにぎりです。自分でおにぎりを作ったのですが、あらためて、センスのなさを感じました。
本当に楽しいご飯の時間でした。

皆様ありがとうございました。

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給食だより

更新日:2019/01/01
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圓照寺略史 上

更新日:2018/12/18

「社会福祉法人 徳風会」の「徳風」という字は、大正十四年に「圓照寺」境内に開園した「徳風保育園」からとったものです。では、その「圓照寺」とはどんな歴史があるのか、興味のある方は下記をお読みください。

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 当山の開創は、源頼朝の弟・源義圓(幼名乙若丸)の子、源阿佐美之介みなもとのあさみのすけ(1188~1266)が親鸞しんらん聖人鎌倉ご逗留のみぎり聖人に帰依し弟子となり、聖人より法名ほうみょうを「釈明願しゃくみょうがん」と賜り、鎌倉名越坂に寶満寺ほうまんじ(又は、法満寺ともいう。圓照寺の元の名)を建立したのが、1224年と伝えられています。今から800年ほど前のことであります。

 鎌倉市の名越坂下に、今でも「寶満寺畑花見畑」の名が残っています。元亨釋書(虎関釋書著、1323年完成、日本初の仏教通史)巻七の四・円覚寺昭元伝に「釋昭元が鎌倉瑞鹿山円覚寺にいたが1311年に病気のため円覚寺を辞退して寶満寺に寓居した」とあります。
 その後、1572年前後には、三崎の宝満町ほうまんちょう(現在の三浦市三崎一丁目から二丁目あたり)に移転していたようです。三崎城主・北条氏規ほうじょううじのり(群馬県館林城、伊豆韮山城も領す。小田原城主北条氏政の弟)の、宝満寺宛ての1572年付けの朱印(眞實印)状が当山にもあります。これは三浦市現存最古の文書であります。
1614年には、徳川家康の水軍大阪冬の陣進発の船手ふなて勢揃いを宝満寺境内にて行いました。1620年、戦勝祝いとして三崎奉行・向井兵庫頭むかいひょうごのかみより現在地を寄進(寄進状現存)されここに移転しました。
このころ、第十一世釋乗善のとき、寶満寺(宝満寺)を圓照寺えんしょうじに改めました。又、本山より許可を受け院号を寶満院と称すようになりました。

*原文は現住職・釈英照によるものです。

「圓照寺略史・下」に続く

横浜の保育園は困っています

更新日:2018/12/13

先日、横浜市の私立保育園の園長会に出席しました。
横浜市の職員の方も大勢参加した会合でした。
主な議題は「保育士が足りない」ということです。

いろいろな情報提供や、意見が出たのですが、要するに「解決策が見当たらない」というのが現実だと思います。細かい数字は控えますが、絶望的な数字が並んでいました。
そんなことはありえないのですが、退職する保育士が0だとしても、新設する園で最低限必要な人材の確保もままならないというのが、来年度に向けての横浜市の現実です。
羽沢保育園、めぐみ保育園も含め横浜市内の保育園は、園によって困り感は様々でしょうが、
「みんな困っている」というのが事実だと思います。
うちの法人だけではないということに、変な安心をしましたが、逆に言うと問題は深刻だということだと思います。なぜなら、みんな困っているということは、取りうる対策がないということですから。根本的に地域に人がいなければ、対策のうちようがありません。

保育士を目指す皆さん、そんな状況ですから、是非横浜市の保育園に就職してください。
多分、みんな良い職場だと思います。

不安があるようでしたら、是非うちの法人の保育園に見学に来てください。みんな優しいですよ。仕事ですから大変なこともありますが、楽しいこともたくさんあると思います。笑顔でお待ちしています。

社会福祉法人徳風会 理事長 稲垣智之

給食だより

更新日:2018/12/11
めぐみ保育園の12月分の給食便りの抜粋です。
ご覧ください。
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